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1 鬼あざみの清吉
39
管理人

39 2011-9-30 12:43:02  [返信] [編集]

戒名「妙法得實信士」

「すり抜け」の名人で全国各地を股にかけ窃盗を繰り返していた。
江戸時代、お墓には「清吉大明神」ののぼりが立てられご利益にあやかろうと昔は博打打ちが、今では自首するまで運良く捕まらなかった事から、志望校に運良く合格するとのいわれから受験生が墓石を削りもって帰るそうです。

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-30.html






本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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1 尾上菊五郎(六代目)
39
管理人

39 2011-9-30 12:37:13  [返信] [編集]

戒名「芸術院六代菊五郎居士」

尾張国名古屋に生れる。父は尾上朝次郎(三代目尾上菊五郎の孫)であるといわれるが、五代目尾上菊五郎と名古屋の芸者信濃屋貞の子で、六代目尾上菊五郎の異母兄であるとする説もある。

初代西川鯉三郎に入門して、1877年(明治10年)、名古屋の小芝居で初舞台。西川榮之助を名のる。その後、1882年(明治15年)に五代目菊五郎の養子となって尾上榮之助を名のり、女形の修行につとめる。1891年(明治24年)、名題昇進、五代目尾上榮三郎を襲名する。

1903年(明治36年)に養父五代目菊五郎が死ぬと、子の二代目尾上丑之助が六代目尾上菊五郎を、榮三郎が六代目尾上梅幸を襲名し、五代目の名跡と俳名をそれぞれ引継いだ。以後、同時代の女形を代表する役者として、五代目中村歌右衛門らとともに重きをなし、1911年(明治44年)に帝国劇場が完成すると、女形としては稀有なことに座頭格(専属技芸委員長)として迎えられた。以後、梅幸は帝劇を中心にして活躍することになる。


十五代目羽左衛門の直次郎(左)と六代目梅幸の三千歳、『雪暮夜入谷畦道』(三千歳と直侍)より

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E6%A2%85%E5%B9%B8_(6%E4%BB%A3%E7%9B%AE)

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-33.html


本寿院 住職 三浦尊明
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1 尾上梅幸(六代目)
39
管理人

39 2011-9-30 12:05:06  [返信] [編集]

戒名「梅壽院」

尾張国名古屋に生れる。父は尾上朝次郎(三代目尾上菊五郎の孫)であるといわれるが、五代目尾上菊五郎と名古屋の芸者信濃屋貞の子で、六代目尾上菊五郎の異母兄であるとする説もある。

初代西川鯉三郎に入門して、1877年(明治10年)、名古屋の小芝居で初舞台。西川榮之助を名のる。その後、1882年(明治15年)に五代目菊五郎の養子となって尾上榮之助を名のり、女形の修行につとめる。1891年(明治24年)、名題昇進、五代目尾上榮三郎を襲名する。

1903年(明治36年)に養父五代目菊五郎が死ぬと、子の二代目尾上丑之助が六代目尾上菊五郎を、榮三郎が六代目尾上梅幸を襲名し、五代目の名跡と俳名をそれぞれ引継いだ。以後、同時代の女形を代表する役者として、五代目中村歌右衛門らとともに重きをなし、1911年(明治44年)に帝国劇場が完成すると、女形としては稀有なことに座頭格(専属技芸委員長)として迎えられた。以後、梅幸は帝劇を中心にして活躍することになる。


十五代目羽左衛門の直次郎(左)と六代目梅幸の三千歳、『雪暮夜入谷畦道』(三千歳と直侍)より

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E4%B8%8A%E6%A2%85%E5%B9%B8_(6%E4%BB%A3%E7%9B%AE)

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-35.html


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1 大高源吾
39
管理人

39 2011-9-30 12:02:34  [返信] [編集]

戒名「刃無一釼信士」

、赤穂浪士四十七士の一人。子葉という雅号を持ち、俳諧にも事績を残した。赤穂藩では、金奉行・膳番元方・腰物方、20石5人扶持。父は大高忠晴。母は小野寺秀和の姉(貞立尼)。弟に小野寺秀富がいる。本姓は安倍氏。家紋は丸に三盛亀甲花菱。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%AB%98%E5%BF%A0%E9%9B%84

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/04-71.html


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1 絵島
39
管理人

39 2011-9-30 11:31:33  [返信] [編集]

戒名「信敬院妙立日如大姉霊」

三河国に生まれ、江戸で育つ。実父・疋田彦四郎(甲府藩士)の死後に母が再婚したため、平右衛門の養女となる。彼女は最初、尾張徳川家に仕えた。次いで甲府徳川家の桜田御殿に仕え、藩主・徳川綱豊が6代将軍・家宣になるとともに大奥入りする。

家宣の側室で7代将軍・家継の生母であるお喜世の方(後の月光院)に仕え、その月光院の右腕とも言われていた。大奥の公務一切を取り仕切り、大奥内で最も政治的権力を持つ御年寄の立場にあった。

正徳4年(1714年)、月光院の名代として前将軍・家宣の墓参りのため奥女中の宮路らと共に寛永寺、増上寺へ参詣。その帰路の途中、木挽町(現在の東京都中央区東銀座界隈、歌舞伎座周辺)の芝居小屋・山村座に立ち寄り、帰城が遅れた。その門限に間に合わなかった咎で評定所の審理を受ける。山村座の役者であった生島新五郎との密会を疑われ、死罪を減じての島流し処分と裁決が下りたが月光院が減刑を嘆願したため、結局は信濃高遠藩(現在の長野県伊那市高遠町)へ流された。また連座者として、旗本だった絵島の兄・白井平右衛門は斬首、同弟は重追放の処分を受けた。

絵島は屋敷に幽閉され、朝夕二度、一汁一菜の食事を摂り、酒、菓子類を口にすることを禁じられ、着用する衣服も木綿のもののみと定められた生活[1]のなか、お経などを読んで時を過ごした、ともいう。しかし、大奥在籍のころから信仰していた日蓮宗の蓮華寺に行くことは許された。そして、27年間の幽閉(閑居)生活の後、寛保元年(1741年)に死去した。墓所は高遠の蓮華寺にある。法名は「信敬院妙立日如大姉」。

現在では高遠城址公園に隣接した伊那市立高遠町歴史博物館の敷地に、絵島が幽閉された建物が復元され絵島囲み屋敷として公開されている[2]。それは一見、普通の屋敷や家屋のようにも見えなくないが、庭に面した格子戸は「はめ殺し」で開けられず出入りできず、唯一の出入り口の脇には詰所が設けられ監視人が配置され、板塀の上には二重の忍び返しがあり、外部の世界と完全に遮断。つまり屋敷は実質的には監獄であった。また、手紙のやりとりも出来なかったという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B5%E5%B3%B6

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-11.html


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