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山田五十鈴
39
管理人

39 2013-5-8 11:44:16  [返信] [編集]

戒名「寳光院天猷妙津大姉」

山田 五十鈴(やまだ いすず、1917年2月5日 - 2012年7月9日)は、日本の女優。大阪府大阪市南区千年町(現・大阪府大阪市中央区)出身。本名:山田 美津。ニックネームは「ベルさん」。戦前から戦後にかけて活躍した、昭和期を代表する日本の大女優の一人である。女優として初めての文化勲章を受章した(ただし、受章辞退者を含めれば杉村春子が初)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%88%B4


本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
安岡力也
39
管理人

39 2013-5-8 10:38:20  [返信] [編集]

戒名「鑑薔院濤力仁道大居士」

安岡 力也 (やすおか りきや、1947年7月19日 - 2012年4月8日) は、日本のロックヴォーカリスト・キックボクサー・俳優・タレント。シャープ・ホークスのボーカル。本名は同じ。身長187cm、体重108kg。イタリア・ジェノヴァ出身。埼玉県行田市育ち。長良グループ所属。
デビュー以来、本名の「安岡力也」名義で活動していたが、「安岡リキヤ」と表記していた時期もある。2001年、離婚を機に姓のない芸名「力也」に改名したが、2010年からは再び「安岡力也」名義で活動した。なお、俳優のRIKIYAとは別人である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E5%8A%9B%E4%B9%9F


本寿院 住職 三浦尊明
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米長邦雄
39
管理人

39 2013-5-8 10:25:49  [返信] [編集]

戒名「棋聖院純実日邦居士」

米長 邦雄(よねなが くにお、1943年(昭和18年)6月10日 - 2012年(平成24年)12月18日[1])は、将棋棋士。2003年(平成15年)12月、引退。日本将棋連盟会長(2005年(平成17年) - 2012年(平成24年))。
タイトル獲得数19期は歴代5位。永世棋聖の称号を保持し、引退前から名乗る。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は85。趣味は囲碁で囲碁八段(日本棋院から追贈)[2]。
2003年(平成15年)11月、紫綬褒章受章。2013年(平成25年)1月、旭日小綬章受章(没後叙勲)[3]。
北陸先端科学技術大学院大学特任教授[4](2011年(平成23年)10月1日 - 2012年(平成24年)9月30日[5])。日本財団評議員(2011年(平成23年)4月 - 2012年(平成24年)12月)[6]。財団法人JKA評議員(任期満了予定は2013年(平成25年)3月31日 [7])。日本テレビ番組審議会委員。ニッポン放送番組審議会委員。東京都教育委員(1999年(平成11年)12月 - 2007年(平成19年)12月)などを歴任。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E9%95%B7%E9%82%A6%E9%9B%84


本寿院 住職 三浦尊明
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吉川英治
39
管理人

39 2011-10-6 12:21:49  [返信] [編集]

戒名「宗文院殿釈仁英大居士」

吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年(明治25年)8月11日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の小説家。本名、英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。

様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年(昭和10年)より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層を獲得し、「国民文学作家」といわれる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E6%B2%BB

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/01-19.html


本寿院 住職 三浦尊明
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横光利一
39
管理人

39 2011-10-6 12:19:19  [返信] [編集]

戒名「光文院釈雨過居士」

横光 利一(よこみつ りいち、1898年(明治31年)3月17日 - 1947年(昭和22年)12月30日)は、日本の小説家・俳人である。菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として活躍した。本名は横光利一(としかず)。

横光の名を冠したものとして、父の故郷の大分県宇佐市でおこなわれる横光利一俳句大会があるが、これは横光が松尾芭蕉の家系を引くことや(その後の調査で血縁関係はないことが判明)、また本人も数多くの句を作ったところよりきている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%85%89%E5%88%A9%E4%B8%80

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/01-18.html


本寿院 住職 三浦尊明
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淀君
39
管理人

39 2011-10-6 12:15:30  [返信] [編集]

戒名「大虞院花顔妙香」

近江国の戦国大名・浅井長政の娘[4]。 母は織田信秀の娘・市。織田信長の姪にあたる。

同母妹に初(常高院、京極高次正室)と江(崇源院、徳川秀忠正室)、異母弟妹には京極竜子の乳母となったくすと浅井井頼がいる。

子には棄(鶴松、夭折)と拾(秀頼)、猶女には完子がいる[5]。

乳母は大蔵卿局(大野治長の母)、饗庭局(大叔母にあたる海津殿の次女)、大局(前田利家の弟にあたる佐脇良之の室)の三人が明らかになっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E6%AE%BF

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-1.html


本寿院 住職 三浦尊明
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横山大観
39
管理人

39 2011-10-6 12:13:10  [返信] [編集]

戒名「横山大観居士」

横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、明治元年9月18日(1868年11月2日) - 1958年(昭和33年)2月26日)は、戦前の日本の美術家。日本画家。茨城県水戸市出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第一回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。本名、横山秀麿(-ひでまろ)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E8%A6%B3

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/03-81.html


本寿院 住職 三浦尊明
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淀川長治
39
管理人

39 2011-10-6 12:10:25  [返信] [編集]

戒名「長楽院慈眼玉映大居士」

淀川 長治(よどがわ ながはる、1909年(明治42年)4月10日 - 1998年(平成10年)11月11日)とは、日本の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家である。兵庫県神戸市出身。旧制兵庫県立第三神戸中学校卒業、日本大学法文学部美学科予科中退。長年にわたって「日曜洋画劇場」の解説を務め、ヨドチョーさんの愛称のほか、その独特の語り口からサヨナラおじさんとして親しまれた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E5%B7%9D%E9%95%B7%E6%B2%BB

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-38.html


本寿院 住職 三浦尊明
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横山やすし
39
管理人

39 2011-10-6 11:59:24  [返信] [編集]

戒名「満寳院釋雄師」

横山 やすし(よこやま やすし、本名:木村 雄二(きむら ゆうじ)、1944年3月18日 - 1996年1月21日)は、かつて吉本興業・大阪本社(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー・大阪本部)に所属していた漫才師、タレント。身長163cm(本人談)。血液型B型。愛称は「やっさん」。

西川きよしとのコンビでの漫才は、漫才ブームの到来と共に記録的な人気を博し「やすきよ漫才」として20世紀を代表する天才漫才師と呼ばれるまでになった。親友に中学時代の同級生で競艇選手の野中和夫がいる。

初妻(のちに離婚)との間に俳優の木村一八(長男)と長女[1]をもうけた。再婚した妻とはやすしの芸能界引退等を挟み、逝去まで連れ添った。エステティシャンで漫才師さゆみ・ひかりの木村ひかり(次女)は、後妻との子である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%97

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-40.html


本寿院 住職 三浦尊明
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初代 淀屋常安
39
管理人

39 2011-10-6 11:56:10  [返信] [編集]

戒名「養源院以心常安居士」

淀屋常安(よどやじょうあん、つねやす) 永禄3年(1560年)? - 元和8年7月28日(1622年9月3日)

二代言當の父である。長子(養子)喜入善右衛門は、常安町家、斉藤町家の家祖。次子(実子)常有五郎左衛門は、大川町家の家祖となった。

山城国岡本荘の武家の出身だったが、織田信長に討たれ商人を目指すようになった。苗字を出身地の岡本、通称を三郎右衛門、名を与三郎、のちに善右衛門とした。隠居し仏門に入ってからは常安の号を名乗った。なお前期淀屋の歴代当主も三郎右衛門を名乗った。

常安請地として中之島の開拓を手掛け、大阪大学医学部跡地の旧町名である常安町、常安橋に名を残している。大坂三郷(北組・南組・天満組)のうち北組の惣年寄を担った。

大坂の役においては徳川方を支持した。大坂冬の陣では茶臼山と岡山の陣屋を徳川家康と徳川秀忠に提供し、徳川方の兵には食料も提供した。その功績が家康に認められ、褒美として山城国八幡の山林田地300石の土地を与えられ、名字帯刀が許された。大坂夏の陣が終わった後には戦の後始末を願い出、亡くなった兵の供養と大量の武具を処分した事でも利益を得た。

墓所は大阪の大仙寺。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E5%B1%8B#.E5.88.9D.E4.BB.A3_.E6.B7.80.E5.B1.8B.E5.B8.B8.E5.AE.89

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/02-50.html



本寿院 住職 三浦尊明
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安田善次郎
39
管理人

39 2011-10-6 10:46:50  [返信] [編集]

戒名「正徳院釈善貞桂山大居士」

富山藩における下級武士(足軽)善悦の子としてうまれる。安田家は善悦の代に士分の株を買った半農半士であった。

1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。最初は玩具屋、ついで鰹節兼両替商に勤めた。やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立、損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立し、金融財閥としての基礎を築く。

1870年代には北海道で最初の私鉄である釧路鉄道を敷設し硫黄鉱山開発、釧路炭田開発(後の太平洋興発の前身を設立)、現在のみずほ銀行釧路支店の礎となる根室銀行を設立し、東北海道開発を行う等、金融財閥家とは異なる面もある。

自分の天職を金融業と定め、私的に事業を営むことを自ら戒めたが、同郷だった浅野総一郎の事業を支援するなど事業の育成を惜しむことはなかった(現在の鶴見線である鶴見臨港鉄道の安善駅は、安田善次郎の名前に因む)。また日本電気鉄道や、帝国ホテルの設立発起人、東京電燈会社や南満州鉄道への参画、日銀の監事など、この時代の国家運営にも深く関わった。

1921年(大正10年)9月27日、神奈川県大磯町字北浜496にある別邸・寿楽庵に、弁護士・風間力衛を名乗る男が現れ、労働ホテル建設について談合したいと申し入れたが、面会を断られた。この風間力衛は実在の人物であるが、神州義団団長を名乗る朝日平吾[1]が勝手に詐称しただけであり、風間本人は事件と何の関係もない。翌日、門前で4時間ほどねばったところ、面会が許された。午前9時20分ごろ、自宅応接間で朝日平吾に刺殺された。朝日はその場で、所持していた剃刀で首を切り自殺した。

斬奸状に曰く、「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス」

戒名は正徳院釈善貞楪山大居士。約1か月後に起きた原敬暗殺事件は、この事件に刺激を受けたものといわれる。

東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は安田善次郎の寄贈によるものである。

「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」は彼の言葉とされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E5%96%84%E6%AC%A1%E9%83%8E

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/02-20.html


本寿院 住職 三浦尊明
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山中鹿之助
39
管理人

39 2011-10-5 11:32:00  [返信] [編集]

戒名「幸盛寺殿潤淋淨了居士」

山中 幸盛(やまなか ゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将。出雲国能義郡(現島根県安来市広瀬町)に生まれる。戦国大名尼子氏の家臣。実名は幸盛(ゆきもり)、通称鹿介だが、講談の類で鹿之助とされたため一般には山中鹿之助(しかのすけ)なる誤った表記で知られる。幼名は甚次郎。優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%B9%B8%E7%9B%9B

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/04-27.html


本寿院 住職 三浦尊明
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安井道頓
39
管理人

39 2011-10-5 11:28:06  [返信] [編集]

戒名「安井道頓居士」

安井 道頓(やすい どうとん、天文2年(1533年) - 元和元年5月8日(1615年6月4日))は、道頓堀の開鑿者。苗字は安井成安(やすい なりやす)で、通称、市右衛門。剃髪後「道頓」と名乗る。

道頓には、安井氏と成安氏の2つの出自説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BA%95%E9%81%93%E9%A0%93

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/02-53.html


本寿院 住職 三浦尊明
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山内賢
39
管理人

39 2011-9-29 10:44:22  [返信] [編集]

戒名「常慶院高岳賢尚居士」

東京都出身。北区立滝野川第四小学校、北区立新町中学校卒。俳優の久保明は実兄。身長170cm。血液型A型。

1955年『姿なき目撃者』で「久保賢」の芸名で子役としてデビューする。その後、東宝作品に出演する。1962年、日活と契約し、芸名を「山内賢」に改める。

多くの日活映画に出演し、1960年以降ブームとなる純愛・青春路線を支えた。和泉雅子との共演作が多く、中でも鈴木清順監督『悪太郎』『悪太郎伝 悪い星の下でも』は代表作である。

歌唱及びギターを得意としており、1962年には日活の俳優仲間であった和田浩治、杉山俊夫、杉山元、木下雅弘とともにヤング・アンド・フレッシュというバンドを結成し、レコードをリリース、また彼らをフィーチャーした映画も数本製作された。1966年には和泉雅子とのデュエット曲『二人の銀座』がヒットし、翌年同名の映画も製作された。

日本映画の衰退とともに活動をテレビに移し歌手そしてドラマや司会などで活躍する。あばれはっちゃくシリーズの先生役やNHKの趣味講座(釣り、登山)などで人気を博す。

2003年夏、右肺にガンが見つかり、除去手術を行った。その後も食道・左肺と転移が発見され、計4度の手術を行った。1日にタバコを20本以上吸うヘビースモーカーだったことが原因と言われていた。

2007年11月17日、新宿の京王プラザホテルで開催された、日活出身の俳優で構成する「俳優倶楽部」とスタッフらで構成する「旧友会」の合同パーティーに、渡哲也・浅丘ルリ子・宍戸錠・芦川いづみ・松原智恵子・川地民夫・沢本忠雄・鈴木清順・井上梅次・齋藤武市・舛田利雄らと共に出席した。

2011年9月24日、東京都内の病院にて肺炎の為に死去[1]。67歳没。戒名は「常慶院高岳賢尚居士」。同年9月26日の葬儀では日活の同僚であった浜田光夫、吉永小百合、和泉雅子らが参列し、和泉雅子が弔辞で「天国では(石原裕次郎さんや長門裕之さんら)先輩がいっぱいいるから、同窓会を作ってもらって。パーティーしましょうね」と語りかけるなど、200名の葬儀参列者が故人を偲んだ[2]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E8%B3%A2


本寿院 住職 三浦尊明
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山本夏彦
39
管理人

39 2011-9-12 15:10:03  [返信] [編集]

戒名「嶺雲院績文夏頴居士」

日本の随筆家、編集者。東京市下谷根岸出身。

『週刊新潮』の鋭い舌鋒の連載コラム「夏彦の写真コラム」で有名であった。また文藝春秋刊の『諸君!』で「笑わぬでもなし」を没する少し前まで350回余り書き続けた。

祖父は高利貸しの山本義上(1848年 - 1909年、ゆえに銀行を嫌った)。父は詩人の山本露葉。息子は写真週刊誌『FOCUS』の編集長を務めた編集者の山本伊吾。義兄(姉の夫)にロシア文学者、脚本家の八住利雄。その息子(山本にとっては甥)に脚本家の白坂依志夫。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%A4%8F%E5%BD%A6




本寿院 住職 三浦尊明
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山本周五郎
39
管理人

39 2011-9-12 14:49:28  [返信] [編集]

戒名「恵分院周嶽文窓居士」

1903年(明治36年)山梨県北都留郡初狩村(現・山梨県大月市初狩町下初狩)にて父清水逸太郎、母とくの長男として誕生。
1907年(明治40年)初狩村が明治40年の大水害で壊滅的被害を受け、一家で北豊島郡王子町豊島(現東京都北区豊島)に転居。
1910年(明治44年)神奈川県横浜市久保町(現神奈川県横浜市西区久保町)に転居。
1916年(大正5年)横浜市立尋常西前小学校(現横浜市立西前小学校)卒業。卒業と同時に東京木挽町2丁目(現銀座2丁目)にあった質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。
1923年(大正12年)徴兵検査を受け、眼力が問題となり丙種合格で免れる。同年9月1日の関東大震災によって山本周五郎商店も被災しいったん解散となる。その後豊橋、神戸に転居。
1924年(大正13年)再び上京。帝国興信所(現帝国データバンク)に入社。文書部に配属。その後帝国興信所の子会社である日本魂社に転籍。
1926年(大正15年・昭和元年)『文藝春秋』4月号に『須磨寺附近』が掲載されこれが文壇出世作となる。10月20日、脳溢血で母とく死去。
1928年(昭和3年)千葉県浦安町(現千葉県浦安市)に転居。10月日本魂社を勤務不良で解雇。
1929年(昭和4年)東京虎ノ門に転居。
1930年(昭和5年)宮城県出身の土生きよいと結婚。
1931年(昭和6年)東京馬込東に転居。空想部落と称された馬込文士村の住人となる。
1934年(昭和9年)6月26日、中風で父逸太郎死去。
1943年(昭和18年)第17回直木賞に『日本婦道記』が選ばれるが辞退。
1945年(昭和20年)3月9日東京大空襲の日に膵臓癌で妻きよい死去。
1946年(昭和21年)自宅の筋向いに住んでいた吉村きんと再婚。横浜市中区に転居。
1959年(昭和34)『樅の木は残った』が毎日出版文化賞に選ばれるが辞退する。
1961年(昭和36年)文藝春秋読者賞に『青べか物語』が選ばれるが辞退。
1967年(昭和42年)2月14日、当時仕事場として使用していた旅館間門園別棟で肝炎と心臓衰弱のため死去。享年65(63歳で死去)。墓所は神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園。戒名恵光院周嶽文窓居士。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%91%A8%E4%BA%94%E9%83%8E


本寿院 住職 三浦尊明
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山内一豊
39
管理人

39 2011-9-12 14:42:45  [返信] [編集]

戒名「大通院心峯宗伝」

戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。土佐山内氏の当主。

父は岩倉織田氏の重臣・山内盛豊、母は法秀尼(法秀院とする説もある。尾張の土豪・梶原氏の娘か)。祖父は山内久豊。兄に山内十郎、弟に山内康豊。妻は内助の功で知られる見性院(「千代」の名で有名だが、実名かどうかは定かでない。若宮友興の娘とも遠藤盛数の娘とも言われる)。通称は伊右衛門もしくは猪右衛門(いえもん)。のちに康豊の嫡男・山内忠義(第2代藩主)を養子とした。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らに仕え、関ヶ原の戦いにおいては徳川方に与した軍功により土佐国9万8千石を与えられた。のち、高直しにより20万2,600石を領した。土佐藩初代藩主。家紋は三つ柏紋。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E4%B8%80%E8%B1%8A


本寿院 住職 三浦尊明
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山縣有朋
39
管理人

39 2011-9-12 14:40:32  [返信] [編集]

戒名「報國院釋高照含雪大居士」

日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は元帥陸軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功一級。爵位は公爵。内務大臣(初・第2・第3代)、内閣総理大臣(第3・9代)、元老、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長(第5代)などを歴任した。

長州藩領内の蔵元仲間[2]三郎有稔(ありとし)の子として生まれた。幼名は辰之助、通称は小助、のち小輔、さらに狂介と改名。明治維新後は有朋の諱を称した。

高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に奇兵隊の軍監となる。明治新政府では軍政家として手腕をふるい日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」とも称されるようになった。官僚制度の確立にも精力を傾け、門閥や情実だけで官僚文官官吏が登用されることの無いように文官試験制度を創設し、後進を育成[3]。山縣が軍部・政官界に築いた幅広い人脈は「山県系」「山県閥」などと称される。晩年も陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」[4]として隠然たる影響力を保ち、「日本軍閥の祖」の異名をとった。伊藤博文とならび明治維新期に低い出自から栄達を遂げた代表的人物である。

自身が得た最高位の階級は陸軍大将だが、元帥府に列せられ元帥の称号を得ており、元帥陸軍大将と呼称された。各国でも大英帝国のメリット勲章等勲章を多数受章している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E6%9C%89%E6%9C%8B


本寿院 住職 三浦尊明
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山岡荘八
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管理人

39 2011-9-10 18:04:07  [返信] [編集]

戒名「山岡院釈荘八真徳居士」

新潟県北魚沼郡小出町(現:魚沼市)の山内家に生まれる。1918年川で泳いでいて前額部を強打、瀕死の重傷を負いのちのちまでこぶとして残る。1920年高等小学校を中退して上京、博文館印刷所で文選工として働きつつ逓信省の研究所に学ぶ。1924年より印刷・製本業を始め、1932年万里閣に入社し、雑誌『ギャング』を編集、「変態銀座デカメロン」を連載。1933年後妻として迎えた妻の実家である加賀安宅(現、石川県小松市)の藤野家に入り、以後、藤野姓を名乗る。妻は筆名山岡道枝。長谷川伸に入門、山岡荘八の筆名を用いる。

1938年に「約束」で「サンデー毎日大衆文芸」入選。長谷川伸の新鷹会に入会。1939年初の著書『からゆき軍歌』を上梓。1942年より従軍作家として各戦線で活動。『海底戦記』その他で野間文芸奨励賞受賞。

戦後、公職追放となる。50年より「北海道新聞」に『徳川家康』を連載、のち「中部日本新聞」「神戸新聞」などに拡大。53年より単行本の刊行が始まり、ベストセラーとなる。58年中日文化賞。63年新鷹会理事。66年文壇長者番付一位、自衛隊友の会会長となる。67年『徳川家康』が完結し、長谷川伸賞受賞、昌平黌短期大学名誉学長。68年第2回吉川英治文学賞を受賞。73年紫綬褒章受章。

保守系の政治家や文化人との付合いも多く、1963年には麻薬追放国土浄化連盟を福田恆存・市川房枝・田岡一雄・田中清玄らと結成。1974年には谷口雅春や岡田光玉と「日本を守る会」を結成し、これは現在の日本会議へとつながっていく。自衛隊友の会会長も務めていた。76年天皇在位五十年奉祝実行委員長。没後従四位勲二等瑞宝章。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E8%8D%98%E5%85%AB


本寿院 住職 三浦尊明
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柳家小さん(5代目)
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管理人

39 2011-9-6 16:41:27  [返信] [編集]

戒名「本行院殿法勲語咄日盛居士」

長野県出身の落語家。本名、小林 盛夫(こばやし もりお、4代目桂三木助の本名と同姓同名)。出囃子は『序の舞』。1995年に落語家として初の人間国宝に認定された。

息子は落語家の6代目柳家小さん。娘は元タレント・小林喜美子。孫は元バレエダンサーで俳優の小林十市と、その弟で落語家の柳家花緑。(二人の母が小林喜美子)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%AE%B6%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%82%93_(5%E4%BB%A3%E7%9B%AE)


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