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1 桃中軒雲右衛門
39
管理人

39 2011-10-4 12:25  [返信] [編集]

戒名「桃中軒義道日正居士」

桃中軒 雲右衛門(とうちゅうけん くもえもん、1873年10月25日 - 1916年11月7日)は、日本の浪曲師。亭号は沼津駅の駅弁屋である桃中軒に由来する。名は修行時代に兄弟分であった力士の「天津風雲右衛門」に由来するとされる(石谷華堤および正岡容の説、他に諸説あり)。

本名は山本幸蔵。従来「岡本峰吉」とされていたのは、本人がそのように名乗り周囲に語っていたためで、「峰吉」は弟(三男)の本名である。雲右衛門が本名や出生地について敢えて嘘を語っていたのは、当時強く残っていた大道芸人に対する差別にも一因があると思われる。

父は地方回りの祭文語りをしていた吉川繁吉(本名: 山本繁吉)で、その二男として生まれる。母・ツルは三味線弾きであった。出生地は群馬県西群馬郡高崎町(現在の高崎市)。従来、茨城県結城市説や埼玉県熊谷市説などがあり、はっきりしていなかったのは、恐らく本人の意図的なカモフラージュによるものだろう。

最初は吉川小繁を名乗り、ヒラキや流しなどをしていた。父の没後、その名である2代目吉川繁吉を襲名し、寄席への進出も果たす。その後、横浜で中京節の初代三河家梅車と興行を共にした時、梅車に虐待されていた夫人のお浜に同情して恋仲となり、そのまま駆け落ちして結婚したため関東に戻れず、京都を経て九州へと至り修行を積む。その過程で従来の関東節に加えて、関西節や、九州で当たりを取っていた美当一調の改良浪花節を自家薬籠中のものとして、後の雲節を生み出していった。

1903年(明治36年)、桃中軒牛右衛門の名で雲右衛門に弟子入りしていた宮崎滔天や、福本日南、政治結社玄洋社の後援で「義士伝」を完成させる。武士道鼓吹を旗印に掲げ、1907年(明治40年)には大阪中座や東京本郷座で大入りをとった。雲右衛門の息の詰まった豪快な語り口は、それまで寄席芸であった浪曲の劇場への進出を可能にし、浪曲そのものも社会の各階級へ急速に浸透していくことになる。

しかし1913年(大正2年)ごろから、肺結核に罹ったことと、それまでの放蕩が祟って極貧生活に陥り、かつての弟子・宮崎が自宅に引き取って看病した甲斐もなく、1916年(大正5年)11月7日に死亡した。墓所は東京都品川区の天妙国寺。

孫に、超常現象研究者の中岡俊哉がいる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E4%B8%AD%E8%BB%92%E9%9B%B2%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-12.html


本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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