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1 絵島
39
管理人

39 2011-9-30 11:31  [返信] [編集]

戒名「信敬院妙立日如大姉霊」

三河国に生まれ、江戸で育つ。実父・疋田彦四郎(甲府藩士)の死後に母が再婚したため、平右衛門の養女となる。彼女は最初、尾張徳川家に仕えた。次いで甲府徳川家の桜田御殿に仕え、藩主・徳川綱豊が6代将軍・家宣になるとともに大奥入りする。

家宣の側室で7代将軍・家継の生母であるお喜世の方(後の月光院)に仕え、その月光院の右腕とも言われていた。大奥の公務一切を取り仕切り、大奥内で最も政治的権力を持つ御年寄の立場にあった。

正徳4年(1714年)、月光院の名代として前将軍・家宣の墓参りのため奥女中の宮路らと共に寛永寺、増上寺へ参詣。その帰路の途中、木挽町(現在の東京都中央区東銀座界隈、歌舞伎座周辺)の芝居小屋・山村座に立ち寄り、帰城が遅れた。その門限に間に合わなかった咎で評定所の審理を受ける。山村座の役者であった生島新五郎との密会を疑われ、死罪を減じての島流し処分と裁決が下りたが月光院が減刑を嘆願したため、結局は信濃高遠藩(現在の長野県伊那市高遠町)へ流された。また連座者として、旗本だった絵島の兄・白井平右衛門は斬首、同弟は重追放の処分を受けた。

絵島は屋敷に幽閉され、朝夕二度、一汁一菜の食事を摂り、酒、菓子類を口にすることを禁じられ、着用する衣服も木綿のもののみと定められた生活[1]のなか、お経などを読んで時を過ごした、ともいう。しかし、大奥在籍のころから信仰していた日蓮宗の蓮華寺に行くことは許された。そして、27年間の幽閉(閑居)生活の後、寛保元年(1741年)に死去した。墓所は高遠の蓮華寺にある。法名は「信敬院妙立日如大姉」。

現在では高遠城址公園に隣接した伊那市立高遠町歴史博物館の敷地に、絵島が幽閉された建物が復元され絵島囲み屋敷として公開されている[2]。それは一見、普通の屋敷や家屋のようにも見えなくないが、庭に面した格子戸は「はめ殺し」で開けられず出入りできず、唯一の出入り口の脇には詰所が設けられ監視人が配置され、板塀の上には二重の忍び返しがあり、外部の世界と完全に遮断。つまり屋敷は実質的には監獄であった。また、手紙のやりとりも出来なかったという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B5%E5%B3%B6

http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-11.html


本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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