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1 舟橋聖一
39
管理人

39 2011-9-6 13:34  [返信] [編集]

戒名「文徳院殿青梅秀聖居士」

1904年(明治37年)12月25日に、東京市本所区横網町に生れた。キリストの降誕日にちなんで「聖一」と名づけられる。父は了助(東京帝国大学工科助教授)、母はさわ子。弟が3人に妹が1人いた。生後100日頃に不注意から父の百日咳がうつり、これが遠因となって晩年に至るまで喘息に苦しむこととなる。1909年(明治42年)に父がドイツへ留学したため、神奈川県腰越長山の母の実家の別荘に転居した。このころから祖母に連れられ、芝居見物をしていた。

1911年(明治44年)に腰越小学校に入学したが、父が戻り教授になったので、本郷区弥生町に移り、入学後5ヶ月で誠之小学校に転校。さらに1913年(大正2年)に東京府豊多摩郡落合村に移ったため、私立高千穂小学校に転校した。高千穂中学校卒業後、水戸高等学校に進学し、土方定一や、片柳真吉らと知り合った。さらに、舟津慶之輔の筆名で短歌・戯曲を発表し、同人雑誌『歩行者』に参加。また、小山内薫の門下生となった。

1925年(大正14年)に高校を卒業し、東京帝国大学文学部国文科に進んだ。河原崎長十郎を中心に、池谷信三郎、村山知義らとともに劇団「心座」を結成し、また文芸部雑誌『朱門』の同人となり、阿部知二らを知る。『朱門』創刊号に戯曲「信吉の幻覚」を発表、翌年に戯曲『痼疾者』が上演され、上司小剣や秋田雨雀に認められた。7月に佐藤百寿と結婚、10月に『新潮』に「白い腕」を発表した。1928年(昭和3年)、『文芸都市』の同人となり、阿部知二、井伏鱒二、梶井基次郎、外村繁らと「新人クラブ」を結成。翌年「心座」を退き、阿部、井伏らと『新文芸都市』を創刊。このほかにも、今日出海らと「蝙蝠座」を結成、小林秀雄、井伏鱒二らと「新興芸術派クラブ」を結成、『近代生活』の同人、飯塚友一郎らと「演劇学会」を創立、『あらくれ会』同人になり徳田秋声の門下生となるなど、盛んに活動した。この間に拓殖大学、明治大学講師を務めた。

1933年(昭和8年)に創刊した『行動』に発表した「ダイヴィング」は、行動主義、能動精神運動を起こし、大きな反響を呼ぶ。小林の勧めで『文学界』同人となり、さらに『行動文学』を創刊。1938年(昭和13年)、『文学界』に発表した「木石」で認められ、『新風平家物語』『北村透谷』『女の手』などを書いた。

終戦後は『小説新潮』に掲載した「雪夫人絵図」をはじめとする風俗小説で人気を得、1953年(昭和28年)には『花の生涯』を刊行。大老・井伊直弼を中心とした開国前後の幕末動乱期の人間模様を描いたこの作品は、最初のNHK大河ドラマとなった。また1999年(平成11年)にも『新・忠臣蔵』を原作とした「元禄繚乱」がNHK大河ドラマで放送された。

1966年(昭和41年)より眼病が悪化し、晩年は両眼ともにほぼ失明状態に陥ったが口述筆記で執筆活動を継続。1970年(昭和45年)より平凡社『太陽』に自らライフワークと位置付けた「源氏物語」の連載を開始。読売新聞にロングラン連載されていた「太閤秀吉」の完結を目前に1976年(昭和51年)1月13日、日本医科大学付属病院にて急死。「源氏物語」も含め、いくつかの作品が未完のまま遺された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9F%E6%A9%8B%E8%81%96%E4%B8%80


本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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