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1 はらたいら
39
管理人

39 2011-9-6 9:47  [返信] [編集]

戒名「曼照院智徳道晃居士」

父・太郎、母・小夜子の長男として生まれる。姉の美和は元バスガイド。父・太郎は、たいらが生まれる前に結核で他界。ガキ大将としての逸話がある。その逸話は後に「最後のガキ大将」という題で著書になり、後に「ガキ大将がやってきた」(TBS系)というタイトルでドラマ化された。

高知県立山田高等学校普通科を1961年3月に卒業。在学中からナンセンス漫画の才能を発揮していたが、上京後は木賃宿を根城として作品を出版社に持ち込んでは断られる生活が続く[1]。生活苦から、高校の1級後輩の森本ちず子に生活費の援助を受け「俺はおまえのヒモだ」と自嘲していた[1]。

1963年、『週刊漫画TIMES』(芳文社)の連載『新宿B·B(ベベ)』でデビュー。翌1964年森本ちず子と結婚。1972年『週刊漫画ゴラク』の連載『モンローちゃん』がヒットする。その後、1980年 サンケイ新聞の『ルートさん』、1988年 北海道新聞や中日新聞(東京新聞)、西日本新聞の各夕刊連載の『セロりん』、1981年 - 1983年,1989年 - 1990年 日本経済新聞連載の『ゲンペーくん』、沖縄タイムスの『グルくん』、公明新聞の『ポッコちゃん』、京都新聞の『パトロールのパトさん』、日刊ゲンダイの『ゴシップちゃん』など、数多くの新聞漫画を手がける。

野球にも造詣が深く、1976年から放送されたプロ野球ニュース(フジテレビ系)の2代目週末司会を務める(1977年)も、本業との兼ね合いからわずか3ヶ月で押阪忍と交代することになる。しかし、それでも野球への情熱は冷めることはなく1978年には大ファンであった阪神タイガースの掛布雅之に「掛布と31匹の虫」の作詞を手がけ、プロデュースした。ちなみに、「掛布と31匹の虫」という曲はオムニバスCD『えっ!あの人がこんな歌を…。』(1990年7月21日発売)にも収録されている。

地元の民放局であるテレビ高知では『はらたいらのおらんく風土記』という、はらたいらが高知県内各地を訪れる人情ドキュメンタリー番組が過去に放送され、大好評だった。

また、落語愛好者には笑福亭鶴光の弟子の名付け親としても知られる。

1992年秋口から、更年期障害による眩暈・集中力低下を訴え連載を減らし闘病生活に。その時の一連の経過は、著書「はらたいらのジタバタ男の更年期」・「男も『更年期』がわかると楽になる」などに詳しい。また経験を生かし晩年は男性更年期障害の講演も行った。

娘の原麻衣子はバレリーナ(元スターダンサーズ・バレエ団)である。正保ひろみなど、弟子筋の作家も輩出している。

2006年11月10日、肝臓ガンのため埼玉県富士見市の病院で死去。享年63。当初の死因は肝不全と伝えられたが、2006年9月に検査入院した際にもともと肝硬変であった上に末期ガンであったことが判明したという。はらは生前、大の酒好きで知られていたため、訃報に接した大橋巨泉は「飲み過ぎたのかな」と語った。戒名は曼照院智徳道晃居士。はらの妻・ちず子が葬儀後に語ったところによると、はら自身は亡くなる前、医師の忠告を無視して酒を飲み続けた末の63歳の死について「不服はない。本望だ」と言っていたという。

故郷に程近い高知県南国市の「はらたいらと世界のオルゴールの館」(後免町駅徒歩2分)では原画を含め作品を鑑賞することができた(2004年12月30日閉館)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%82%89%E3%81%9F%E3%81%84%E3%82%89


本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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