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1 二宮尊徳
39
管理人

39 2011-9-5 12:39  [返信] [編集]

戒名「誠明院巧譽報徳中正居士」

相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山(かやま))に百姓利右衛門の長男として生まれる。当時の栢山村は小田原藩領であった。彼が5歳の時の1791年(寛政3年)8月5日、南関東を襲った暴風で付近を流れる酒匂川の坂口の堤が決壊し、金次郎の住む東栢山一帯が濁流に押し流されてしまった。その影響で田畑は砂礫と化し、父利右衛門の田畑も流失した。

14歳で父利右衛門が死去、2年後には母よしも亡くなり、尊徳は伯父二宮万兵衛の家に預けられた。伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させ、また僅かに残った田畑を小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功する。この頃までに、身長が6尺(約180センチ強[1])を超えていたという伝承もある。 また体重は94kg[2]あったと言われている。

生家の再興に成功すると尊徳は地主経営を行いながら自身は小田原に出て、武家奉公人としても働いた。奉公先の小田原藩家老服部家でその才を買われて服部家の財政建て直しを頼まれ、見事に成功させて小田原藩内で名前が知られるようになる。その才能を見込まれて、小田原藩大久保家の分家であった旗本宇津家の知行所であった下野国桜町領(栃木県旧二宮町周辺、なお同町の町名の由来は二宮尊徳である。現在の真岡市)の仕法を任せられる。後に東郷陣屋(同じく真岡市)にあって天領(真岡代官領)の経営を行い成果を上げる。その方法は報徳仕法として他の範となる。その後、日光山領の仕法を行う。下野国今市村(現在の栃木県日光市)報徳役所にて没。

尊徳の仕法は他の農村の規範となった。没後の1891年(明治24年)11月16日に従四位が追贈されている。

二宮尊徳をまつる『二宮神社』が、生地の小田原(報徳二宮神社)、終焉の地・今市(報徳二宮神社)、仕法の地・栃木県真岡市(桜町二宮神社)などにある。尊徳記念館が神奈川県小田原市栢山にある。栃木県真岡市にも二宮尊徳資料館がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3


本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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