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1 西周
39
管理人

39 2011-9-3 16:50  [返信] [編集]

戒名「周光院殿一雄貫道大居士」

石見国津和野藩(現、島根県津和野町)の御典医の家柄。父・西時義(旧名・森覚馬)は森高亮の次男で、川向いには西周の従甥(森高亮の曾孫)にあたる森鴎外の生家がある。西の生家では、彼がこもって勉学に励んだという蔵が保存されている。

漢学の素養を身につける他、天保12年(1841年)に藩校・養老館で蘭学を学んだ。安政4年(1857年)には蕃書調所の教授並手伝となり津田真道と知り合い、哲学ほか西欧の学問を研究。文久2年(1862年)には幕命で津田真道・榎本武揚らとともにオランダ留学し、フィセリングに法学を、またカント哲学・経済学・国際法などを学ぶ。

慶応元年(1865年)に帰国した後、目付に就任[1]、徳川慶喜の側近として活動する。王政復古を経た慶応4年(1868年)、徳川家によって開設された沼津兵学校初代校長に就任。同年、『万国公法』を訳刊。明治3年(1870年)には乞われて明治政府に出仕、以後兵部省・文部省・宮内省などの官僚を歴任し、軍人勅諭・軍人訓戒の起草に関係する等、軍政の整備とその精神の確立につとめた。

1873年(明治6年)には森有礼・福澤諭吉・加藤弘之・中村正直・西村茂樹・津田真道らと共に明六社を結成し、翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。啓蒙家として、西洋哲学の翻訳・紹介等、哲学の基礎を築くことに尽力した。

東京学士会院[2](現在の日本学士院)第2代及び第4代会長[3]、獨逸学協会学校の初代校長を務めた。1890年(明治23年)には貴族院議員となる。1897年(明治30年)1月31日に死去、享年68。墓所は東京都港区の青山霊園。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%91%A8_(%E5%95%93%E8%92%99%E5%AE%B6)




本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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