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1 真田幸村
39
管理人

39 2011-9-2 10:53  [返信] [編集]

戒名「大光院殿月山伝心大居士」

現在では「真田幸村」の名で広く知られているが、信繁直筆の書状を始め、信繁が生きていた同時代の史料で「幸村」の名が使われているものは見つかっていない。従って実在の人物の名としては「信繁」が正しい。

「幸村」の名が見られるようになったのは江戸時代で、寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』がその初出であると考えられる。その『難波戦記』が人気を博し、広く読まれたため「信繁」ではなく「幸村」とすることのほうが一般的となったと言えるであろう。時代が下るにつれ「幸村」の名があまりにも普遍化してしまったため、幕府編纂の系図資料集である『寛政重修諸家譜』や兄・信之の子孫が代々藩主を務めた松代藩の正史にまで「幸村」が採用されている。

「幸」は真田家(厳密には真田家の本家にあたる海野家)の通字であり、「村」については信繁の姉の村松や、信繁の子孫が仕えた伊達家当主の伊達綱村、徳川家を呪ったとされる妖刀村正に由来しているとする説がある。

「幸村」という名は信繁の死後100年以内で広まっているため、真田昌幸の死後に昌幸の片諱を継承して実際に「幸村」と名乗ったのではないかとの推測もあるものの、現在のところ「幸村」という名が記された史料は見つかっておらず、立証されていない。また、夏の陣での死の二ヶ月前に「幸村」と改名したという説もあるが、大坂冬の陣と大坂夏の陣の半ばの慶長20年2月に叔父にあてた手紙や兄・姉にあてた手紙にも「信繁」と記されており、こちらも史料による裏づけはない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%B9%81


本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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