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1 梶山季之
39
管理人

39 2011-9-2 9:52  [返信] [編集]

戒名「文麗院梶葉浄心大居士」

土木技師の父が朝鮮総督府に勤務していたため、朝鮮の京城で生まれた。五木寛之は南大門小学校の後輩である。子供の時から作家志望で、小学3年頃には科学冒険小説を書いて級友に読ませていた。1942年京城中学校入学。敗戦後引き揚げ両親の郷里、広島県佐伯郡地御前村(現廿日市市)で育つ。広島二中(現広島観音高)を経て広島高等師範学校国語科に入学。在学中に同人誌『天邪鬼』を創刊、後に地元の同人誌を糾合し広島文学協会を設立、同人誌『広島文学』に参加するなど精力的に活動した。また「中国新聞」学芸部の金井利博と知り合い、広島ペンクラブの設立、運営にも加わった。『天邪鬼』に一文を寄せていた作家原民喜の自殺に衝撃を受け、金井とともに原を記念する詩碑の建立に奔走した。

卒業後の1953年、家出同然にして上京。後を追って上京した同人誌仲間と結婚。横浜鶴見工業高校の国語教師を務めた後、喫茶店の経営をしながら『新早稲田文学』『希望』などの同人誌で活動。1955年村上兵衛の紹介で三浦朱門らのいた『新思潮』(第15次)同人になり小説を書き、1956年『新潮』に同人雑誌推薦作品として「合わぬ貝」が掲載され、これが初めての商業誌掲載となった。一方、1958年にフリーライター専業となって『文藝春秋』『週刊新潮』などに記事を書くようになり、東京阿佐ヶ谷で喫茶店のあと経営していたバーをたたんで文筆一本でいくことを決意する。『週刊明星』の創刊から関わり、また「大宅壮一ノンフィクションクラブ」にも参加。1959年『週刊文春』創刊に際しトップ屋グループ「梶山軍団」を作り名を売った。またこの時期「梶謙介」のペンネームで小学館の学年誌などに多くの冒険小説を書き、三谷晴美(瀬戸内寂聴)と双璧の人気と言われる。1958年から1964年にかけてはラジオドラマの脚本も執筆、朝日放送「ヒロシマの霧」で1959年民放連盟賞優秀賞、同「蛸が茶碗を抱いていた」で1960年文部省芸術祭参加、1961年-1962年の連続ドラマ「愛の渦潮」などがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B6%E5%B1%B1%E5%AD%A3%E4%B9%8B


本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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