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1 横澤彪
39
管理人

39 2011-8-30 9:59  [返信] [編集]

戒名「富岳院衆楽日彪居士」

群馬県前橋市に生まれる。父が新聞記者であったためすぐに長野県長野市に移りその後、東京都杉並区、新潟県新潟市、新潟県高田市(新潟県上越市)、秋田県秋田市、神奈川県横浜市と、平均2年半に1回の割で転校を繰り返した。どこへ行っても東京弁を喋る「東京っ子」として異端視され、いじめられるのは日常茶飯事で、これが「ネクラ人間横澤彪」のルーツと話している。大学受験時代や大学入学後においても留年を経験したので、入学以来の学友と卒業式に出席した経験がない。自身「郷里はどちらですか」という質問が一番苦手と言い、「郷里はありません」と答えることもあるし、「父は岩手、母は静岡です」と加えるとき、「群馬県の前橋生まれです」と言って済ませるとき、丁寧にすべて説明するときとあり、いずれも説明は苦痛と話している[1][2]。

神奈川県立横浜翠嵐高等学校から千葉県立千葉高等学校に編入学。その後、東京大学文学部社会学科に入学したが、入学後も留年した。1962年に同大学を卒業し、フジテレビに入社。同期は元フジテレビ社長の村上光一。フジテレビでは労働組合運動にかかわって社長の鹿内信隆の逆鱗に触れたため、1970年に「経営合理化のため制作部門を分社」の大義名分のもと産経新聞出版局に左遷させられるなど辛酸をなめたが、このとき、同じ業界の光文社の神吉晴夫から「既成概念にとらわれない」ということを学ぶ。その後の1974年に『ママとあそぼう!ピンポンパン』で初プロデューサーを経験し、1980年に『THE MANZAI』で頭角を現し始めた。その後も『らくごIN六本木』『スター千一夜』『笑ってる場合ですよ!』『森田一義アワー 笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』などを手掛け、1年先輩の日枝久や鹿内春雄(社長信隆の長男)とともに視聴率低下で苦境に立たされていたフジテレビの立て直しを果たした。また、お笑い界のビッグ3ことタモリ、ビートたけし、明石家さんまをスターダムへと押し上げることに一役買った。

『オレたちひょうきん族』では、同番組内コーナー「ひょうきん懺悔室」で神父役として出演していた。ただし、家族は彪の娘がキリスト教系列の学校に通学していた関係から、彪が演じていたこの役を嫌がったという。同じく『ひょうきん族』時代には、TBSテレビで裏番組として放送されていた『8時だョ!全員集合』を意識した、今では考えられない数々の演出を行った。コントのはしばしで『全員集合』の名前を出し、揚げ句の果てには『全員集合』のオープニングテーマを流しながら「ひょうきん族がなければね」「わしもそう思う」というパロディCMを作るほどであった。ちなみにこのパロディの元ネタは、毎日放送『突然ガバチョ!』に登場していたキャラクター「わしもそう思う博士」を日本ハムが起用したCMである。番組内ではひょうきんディレクターズ等のコーナーで番組スタッフを番組に出演させ、 それまで提供読みかスポットニュースくらいしか出番がなかった女性アナウンサーをコントの中に起用し、 テレビではタブー視されていた楽屋落ちを寸劇の中に取り込むなど今日にも受け継がれているバラエティー番組の手法を多く開発し賛否両論ながらも話題を集めた。

1987年には『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』第1回ゼネラルプロデューサーを、1989年には第3回総合プロデューサーを、1992年と1993年には『平成教育テレビ』で役員待遇エグゼクティブプロデューサーを務めた。また、1993年には全国一斉公開模試試験で、フジテレビの生徒役で平成問題に挑戦した。

視聴率に関しては相当苦心していたようで、フジテレビを退社した後に出演したテレビ朝日『ニュースステーション』で海外テレビ番組特集を見て、「私も視聴率を気にしない環境でやってみたかった」と発言していた。

編成局ゼネラルプロデューサーに昇進したかたわら、ヴァージンジャパン[3]社長も兼任。1992年の鹿内宏明会長解任の余波を受け、1995年3月にフジテレビを退社した。

フジテレビ退社後は、吉本興業役員に転じ、東京支社長や専務取締役を歴任した。同社にはそれほど長く在籍するつもりではなかったが、後に吉本興業の社長となる林裕章氏に懇願され、長期にわたり勤めたという[4]。2005年に相談役を退任し、翌2006年にインターネットサイトJ-CASTでコラム『横澤彪のチャンネルGメン69』の連載を開始した。『Gメン69』では、古巣の吉本興業やフジテレビに対しても歯に衣着せぬ主張を展開。一部の論考(左利き批判[5]など)が反響を呼び、議論を沸騰させたこともある。2007年には悪性リンパ腫の闘病を告白し、話題となった。

2011年1月8日、肺炎のため東京都内の病院で死去[6]。73歳没。1月13日に通夜、翌14日に告別式が東京都大田区内の池上本門寺で営まれた。告別式には片岡鶴太郎や山田邦子や栗原小巻、俳優の山崎努など約600人が参列した。出棺の際、野々村真が「横澤さんありがとうございました」と大きな声で叫び山田邦子も「ありがとうございました」と絶叫した。その後、横澤彪は品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%BE%A4%E5%BD%AA




本寿院 住職 三浦尊明
http://111.or.jp/
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